頼信の子、源頼義は前九年の役にて陸奥国奥六郡に蛮拠する俘囚長 安倍氏を討ち、その子、八幡太郎義家は出羽国の俘囚長、清原氏の内紛を治め(後三年の役)、声望を高めた。河内源氏が東国に足掛かりを持つようになったのもこの頃である。河内源氏はこのように武名を現したことから、事実上清和源氏の嫡流の地位を占めるに至った。
このような河内源氏の興隆は、時の権力者 白河法皇の警戒を招く。義家の長男・源義親は対馬守に任ぜられ、その後義親は反朝廷的行為などの罪を問われて追討を受けている。義家の死後、家督を継いだ源義忠が源義光の策謀で暗殺されると河内源氏の勢力は弱体化する。源義忠の後を継いだ源為義が効果的な施策を打ち出せずにいた一方、白河院の寵愛を受けた伊勢平氏傍流の平正盛が地位を固めていったことで、武門の中で河内源氏の勢力は相対的に低下していった。
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委員長の田村君
不遇を囲った源為義の子で東国に下っていた源義朝は、保元の乱において、河内源氏恩顧の関東の武士を糾合して天皇方に立ち、上皇方の父為義や源為朝など弟を敵に回して勝利した。しかし、一族の多くを失った源義朝は、同じく天皇方についた平清盛と比較して勢力を伸ばすことができなかった。そのため、義朝は河内源氏の勢力回復をはかり、藤原信頼と手を結んで後白河上皇を幽閉、平治の乱を起こす。一時天下を我が物にした義朝だったが、平清盛らが秘密裏に上皇らを救出したことで形勢逆転、敗退して京を落ち、東国へ向かう。しかし、道中で、腹心の鎌田政清の舅になる尾張国の長田忠致の手にかかって殺害された。
20年余の時を経て、以仁王の令旨を奉じた摂津源氏の源頼政、熊野に潜んでいた河内源氏庶流の源行家らの檄を受け、河内源氏の源義朝の子である源頼朝、源希義、源範頼、源義円、源義経ら兄弟や、源義朝の弟の源義賢の子であり、頼朝の従兄弟にあたる源義仲(木曾次郎義仲)、八幡太郎義家の弟の源義光(新羅三郎義光)の子孫の甲斐源氏武田氏の源信義らが各地で挙兵し、俗に源平合戦と呼ばれる治承・寿永の乱が発生する。